先日、2030年の各国のCO2排出量の削減目標について眺めていて、あらためて違和感を覚えました。各国で基準年が違い、それぞれ排出量が多かった時期を起点にしているようにも見える。中国は「2030年までにピークアウト」という言い方をしていて、先進国が製造を外に出した結果、中国が世界の工場としてCO2排出を引き受けている構図もある。
もちろん、地球温暖化そのものを軽く見ているわけではありません。IPCCは、人間活動、とくに温室効果ガスの排出が地球温暖化を引き起こしていることは明白だとしています。ここを雑に否定すると、議論の入口でつまずいてしまう。
ただ、それでもなお、CO2排出量という指標だけで社会全体を動かそうとすることには、まだ引っかかりがあります。CO2は温暖化との因果関係を説明しやすく、排出量を計算しやすく、国や企業の目標に落とし込みやすい。その「扱いやすさ」ゆえに、政策やビジネスの中心に置かれている面も大きいのではないかと思っています。
CO2排出量
主要国のCO2排出量を1990年以降で見ると、先進国は横ばい、もしくは減少傾向に見える一方、中国や新興国の増加が目立ちます。

日本の場合、2011年の震災後に火力発電への依存が高まり、2013年に排出量のピークを迎えました。そこから2030年に向けて大きく減らす目標が掲げられていますが、これは単に「日本国内でどれだけ排出したか」だけで見てよい話ではないはずです。
国内の工場を減らし、海外で作った製品を輸入すれば、国内の排出量は下がります。しかし、消費している製品に紐づく排出まで含めれば、見え方は変わる。CO2の問題を本当に地球全体の問題として扱うなら、生産地ベースだけでなく、消費地ベースの視点も必要だと思います。

GDPと人口
GDPや人口と合わせて見ると、さらに話は単純ではありません。

経済成長している国ほどエネルギー需要は増えやすく、人口が多い国ほど総量としての排出は大きくなりやすい。国単位の総量だけで比較すると、中国やインドの数字は非常に大きく見えます。一方で、一人あたり排出量で見ると、先進国側の責任も小さくありません。

だからといって、一人あたりにすれば公平かというと、それもまた違う気がします。産業構造、輸出入、エネルギー構成、気候、生活水準まで絡むため、どの切り口を選ぶかによって「正しそうな答え」は変わります。
CO2排出量は重要な指標ですが、それだけで各国の責任や努力をきれいに測れるものではありません。
温暖化とCO2の関係
地球温暖化の主因が温室効果ガスであり、その中でも人間活動によって増え続けているCO2が重要な位置を占めている、というのが現在の科学的な整理です。この点について、個人の感覚だけで否定するのは難しいと思います。
一方で、温暖化という現象はCO2だけで説明し切れるほど単純ではありません。水蒸気、メタン、土地利用の変化、森林減少、都市化、ヒートアイランド、太陽活動など、気候に関わる要素はいくつもあります。

ただし、太陽活動や都市化だけで近年の地球規模の温暖化を説明できる、という話でもありません。気象庁や国立環境研究所などの解説を見ても、そうした要因はあるとしても、現在の温暖化の主因を温室効果ガス以外に置き換えられるほどの説明力はない、という理解が妥当そうです。
ここで私が気になるのは、科学的な因果関係そのものよりも、その先にある社会の扱い方です。CO2は測りやすく、排出係数で計算しやすく、国際交渉や企業会計にも乗せやすい。そのため、温暖化対策の中心指標として採用されやすい。これは合理的である一方、CO2だけを見ていればよいという空気を生みやすいとも感じます。
CO2は「実態」なのか
CO2排出量は、多くの場合、燃料使用量や電力使用量に排出係数を掛けて計算されます。化石燃料をこれだけ燃やせば、これだけCO2が出る。電気をこれだけ使えば、電源構成に応じてこれだけ排出したことになる。製品やサービスの排出量も、こうした計算の積み上げで見積もられます。
これは必要な仕組みです。世界中の工場や家庭から出るCO2を直接測り続けることは現実的ではありません。係数化し、計算可能にすることで、政策や企業活動に組み込めるようになります。
ただ、その数字はあくまで「計算された排出量」です。実測値そのものではありません。係数の置き方、電力の扱い方、製品のライフサイクルをどこまで見るかによって、結果は変わります。
CO2排出量を可視化することは重要です。しかし、可視化された数字が独り歩きし、都合のよい境界線だけで「削減した」と言えてしまうなら、本来の目的からずれていくのではないでしょうか。
EVシフトへの違和感
EVについても、同じような違和感があります。
ガソリン車からEVへ移行すれば、走行時の排出は減ります。再生可能エネルギーや原子力の比率が高い電力で充電できるなら、ライフサイクル全体でも排出削減につながりやすい。ここは事実として見てよいと思います。
ただ、EVであれば何でも正解、という話ではありません。車体やバッテリーの製造、鉱物資源の採掘、発電時の排出、充電インフラ、廃棄やリサイクルまで含めて考える必要があります。電源構成が化石燃料に大きく依存している地域では、効果の出方も変わります。
さらに、ここ数年のEVシフトは一枚岩ではありません。世界全体ではEV販売は伸びていますが、欧州では補助金の縮小などで販売が停滞した時期があり、アメリカでも政策の先行きや価格、充電環境によって伸び方にばらつきがあります。一方で、中国や一部の新興国では強い政策支援と低価格車によって普及が進んでいます。
つまり、「EVシフトは失敗した」と一言で片づけるのも雑ですが、「EVへ置き換えれば脱炭素は解決する」と言うのも同じくらい雑です。実際には、環境政策、産業政策、資源戦略、雇用、国際競争が複雑に絡んでいます。
エネルギー利権の移り変わり
脱炭素の議論には、環境問題だけでなく、エネルギー利権の再編という側面もあると思います。
これまで世界は、石油、石炭、天然ガスといった化石燃料に依存して発展してきました。そこには資源を持つ国、運ぶ企業、精製する企業、発電する企業、自動車産業など、巨大な利害関係があります。
再生可能エネルギー、蓄電池、EV、水素、カーボンクレジット、排出量取引といった仕組みは、化石燃料依存を減らすために必要な面があります。しかし同時に、新しい市場と利権を生みます。だからこそ、脱炭素を「正しいこと」として受け入れるだけでなく、誰が何を得て、誰がコストを負担するのかも見ておく必要があります。
CO2排出量は、こうした制度を作るうえで非常に便利なものさしです。便利だからこそ、政治やビジネスに使われやすい。そこに私の違和感があります。
技術の進歩とエネルギー消費
IT技術の進歩も、エネルギー消費と無関係ではありません。
インターネット、モバイル通信、クラウド、動画配信、オンラインゲーム、暗号資産、AI。便利になったものは多いですが、その裏側ではデータセンターや通信インフラが動き続けています。もちろん、デジタル化によって移動や紙の使用が減る面もあります。それでも、人間の活動時間と消費の範囲が広がり続けていることは否定できません。
SDGsや脱炭素を語りながら、一方でより多くのデバイス、より高精細な映像、より大きな計算資源を求め続ける。ここにも、どこか矛盾があります。
温暖化対策を本気で考えるなら、発電方法を変えるだけでなく、そもそもどれだけ使うのか、何に使うのかという問いも避けられないはずです。
まとめ
CO2排出量を減らすことには意味があります。温室効果ガスが温暖化の主因であるという科学的な整理も、現時点ではかなり強固です。
ただし、CO2排出量という数字は、あくまで現実を扱うためのものさしです。ものさしが便利だからといって、それだけで社会の正しさを決められるわけではありません。
国別の削減目標、EVシフト、再エネ、カーボンクレジット、排出量取引。どれも必要な面はありますが、同時に産業政策や利権の構造とも深く結びついています。だからこそ、「脱炭素に賛成か反対か」という雑な二択ではなく、何が本当に排出削減につながり、何が単なる数字の付け替えなのかを見ていきたい。
CO2は重要です。ただ、CO2だけを見ればよいわけではない。私の違和感は、そこにあります。